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日露戦争・・・は何のため?

日露戦争
↑ウィキです。

日中戦争について、あきらさんや文太さんがエントリーされているのを読んで、そもそも事の発端はなんなのか・・・と考えてみると色々あるだろうが、日清戦争なんだと思う。

で、いきなり日清戦争なんてことじゃなくて、その間の日露戦争について調べてみた。

不凍港を求めていたロシアは南下政策を採用し、露土戦争などの勝利によってバルカン半島における大きな地歩を獲得した。ロシアの影響力の増大を警戒するドイツの宰相ビスマルクは列強の代表を集めてベルリン会議を主催し、露土戦争の講和条約であるサン・ステファノ条約の破棄とベルリン条約の締結に成功した。これによりロシアはバルカン半島での南下政策を断念し、進出の矛先を極東に向けることになった。


ようするにロシアは冬になると凍ってしまう港ばっかりなんで冬にも凍らない港を自分の領土として欲しかった。それで南に攻め込んだが、ドイツをはじめとする列強に反対されて、中国方面に手を出し始めた・・・と・・・。

1900年にロシアは清で発生した義和団事変の混乱収拾を名目に満州へ侵攻、全土を占領下に置いた。ロシアは満州の植民地化を既定事実化しようとしたが、日英米がこれに抗議しロシアは撤兵を約束した。ところがロシアは履行期限を過ぎても撤退を行わず駐留軍の増強を図った。ロシアの南下が自国の権益と衝突すると考えたイギリスは危機感を募らせ、1902年に長年墨守していた孤立政策(栄光ある孤立)を捨て、日本との同盟に踏み切った(日英同盟)。


でロシアはこじつけの理由で満州を攻め取り植民地化しようとしたが日本とイギリスとアメリカの反対にあった。
でも手放したくない・・・
日本はロシアが朝鮮半島に入ってきて欲しくない。
イギリスは清に権益があったのでロシアをのさばらせたくない。
じゃアメリカは?アメリカなんの用事?

日本はロシアに譲歩した提案をし、戦争なんてしたくなかったが、結局旅順でロシアを攻め宣戦布告した。
陸戦では203高地を占領したが、中々ロシア軍を壊滅するまでには至らず、決着は日本海戦でバルチック艦隊をやっつけた時点でアメリカに講和を頼み込み終戦。
ロシアはそのまま継続しても良かったみたいだが結局講和に応じている。
しかし、アメリカのポーツマスで締結された条約ではロシアから賠償金はとれず南満州鉄道と朝鮮半島の権益をえるにとどまった。

私が学生時代に教師が言った「日露戦争では日本は勝利していない」といったのがなんとなくわかってきた。
そのまま戦争を継続していれば国力からもロシアが勝っていたであろう事は想像に難くない上賠償金は一切払わない・・・としたロシアの条件をのんでいるのである。

ロシア帝国の南進を抑えることに成功し、加えて戦後に日露協約が成立したことで、相互の勢力圏を確定することができた。こうして日本は朝鮮半島の権益を確保できた上、新たに東清鉄道の一部である南満州鉄道の獲得など満洲(中国東北部)における権益を得ることとなった。またロシアに勝利したことは、列強諸国の日本に対する評価を高め、明治維新以来の課題であった不平等条約改正の達成に大きく寄与した。


まあそのころの不平等条約といったものが、日本をこけにしたものだったのでアジアの自信に寄与した勝利だったんだろうと思う。
そのころの帝国主義列強・・・といった国々はいまにして思えば悪魔としかいいようのない傲慢さ・・・だったわけである。

一方、この戦争で日本軍は戦争捕虜を人道的に扱った。日本赤十字社もロシア兵戦傷者の救済に尽力した。日本軍は国内各地に捕虜収容所を設置したが、愛媛県の松山にあった施設が著名であったため、ロシア兵側では降伏することを「マツヤマ、マツヤマ」と勘違いしたというエピソードもある


日本軍が捕虜を大切に扱った・・・とか、軍艦から放り出された敵国兵を助けた・・・なんてエピソードをよく目にするが、そんな話を聞くと「大虐殺」とか「強制連行」なんて発想はなかったんじゃないのかな・・・と単純に思ってしまう。
e0118366_137386.jpg

↑松山城です。(笑)
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by bao_osaka | 2007-07-16 01:37 | ロシア